【論語】その7(最終回)論語は生きる指針となる。だけどこれだけでは騙される。
論語に書かれていることって
自分がどうあるべきか?を真剣に考える。
自分が勉強してより良いものを考える。
自分が徳を積むことで、下の者も徳を積むようになる。
高い地位を得たとしても驕らない。
質素な生活をしなさい。
という内容が多い。
これらは当然指針とするべき。
自分を誇れる生き方ができるから。
新しい知識を学んで活用することは、本当に面白い。
自分なりの正しさを持つようになることは、本当に素晴らしい。
静謐で清廉な生き方ができる人って本当に尊敬できると思う。
だけどね。
こんなことばっかりやってると疲れるんですよね。
もっと楽して生きていたい。
刹那的に生きていたい。
人って怠惰で強欲で利己的な生き物だよね。
自分が清廉な生き方をしても、相手がそうなるとは限らないよね。
「相手も同じように考えているはず」なんて考えていると、裏をかかれるなんてことはよくあることで。
論語だけを生きる指針にすることは、非常に危険なんですよね。
「いい人しかいない世界」でしか通用しないんですよ。
では、そんな怠惰で強欲で利己的な人と付き合うにはどうすれば良いか?
「韓非子」にヒントが書かれています。
「人は自分の利益のためだけに生きる」
というガチなリアリズムを突きつける古典。
次回からやりますね。
ただ、その前に番外編を何回か挟みます。
古典ばっかりだと息苦しくなるからね。